開発者  會津 敏昭

 

出身地  神奈川県
生年月日 1966年9月25日

 

銀座MONDE BARで修行 。
1991年、二子玉川アーリーボストンクラブで店長を務める。
1993年、TVチャンピオンバーテンダー王選手権で優勝。
同年11月、26歳で独立。
二子玉川に「BAR SUNSET」をオープン。オーナーバーテンダーとなる。

お酒の飲めない
バーテンダー

私はお酒が飲めません。でも、飲めないからこそお酒を楽しむ事への強い憧れがありました。 私が20歳の頃 一人のバーテンダーのカクテルに出会います。
それが、後に私の師匠となる銀座「MONDE BAR」(現在は「MONDE BAR HASEGAWA」)の長谷川治正氏です。
氏の作る「マリブダンサー」というカクテルを飲んだ瞬間、お酒に弱い自分にも美味しいと思えるお酒の世界があったのか!と、カクテルという技術によって広がるお酒の味の可能性にすっかり魅了されてしまいました。
自分もこんなカクテルを作って多くの方々にお酒を楽しんでもらいたい!
そんな思いが強くなり、長谷川氏の下で多くの事を学ばせて頂きました。

横浜の紅茶専門店
サモアールでの
衝撃的な出会い

「リターナー」発案のきっかけとなったのは、横浜の紅茶専門店サモアールで出会った、アールグレイとグレープフルーツジュースのセパレートティでした。
この、紅茶とフルーツのマリアージュに衝撃を受けた私は、この味を紅茶リキュールで再現できないものか?と考えはじめます。
しかし、当時はアールグレイの紅茶リキュールは少なく、そのどれもがサモアールのセパレートティを再現できるものではありませんでした。

納得のいく
紅茶リキュールを求めて

「よし!ならば、自分で納得のいく紅茶リキュールを作ろう!」
「ジュースで割ってもミルクで割っても香り負けしない紅茶リキュールが作れたら、バーテンダーが扱いやすくカクテルの世界が更に広がる!」
そんな想いを胸に抱き、私の、紅茶とアルコールとの格闘の日々が始まりました。
この日から私は世界中から様々なアールグレイの茶葉を仕入れ、ウォッカに漬け込んでいきました。
しかし、茶葉を漬け込む期間と適量の茶葉を見極める作業を何度繰り返しても、なかなか思うように行きません。
そのままストレートで飲んだり、氷を入れたロックスタイルでは美味しくても、
ジュースやミルクと割った際に、どうしても紅茶の香りが消えてしまうのです。
これではバーテンダーがカクテルベースとして使うには非常に使いづらい・・・
目指すは「そのまま飲んでもカクテルにしても美味しい、紅茶の香り高きリキュール!」です。
いつまでも紅茶の香りを楽しめるリキュール製造は、非常に難しく試行錯誤の連続でしたが、徹底した品質管理下に置かれた香り高い最高級茶葉に出会えたことにより、ようやく納得のいく紅茶リキュールを仕上げる事が出来ました。

リターナー命名

当時お客様としてよくお越し頂いていた、映画 【踊る大走査線】や【三丁目の夕日】の製作会社の㈱ロボットの阿部秀司社長(当時)と映画監督の山崎貴氏と俳優の金城武氏に、仕上がった紅茶リキュールを試飲して頂ける機会がありました。
その日は丁度 映画【Returner】の試写会当日でした。

自作の紅茶リキュールとグレープフルーツジュースを使ったカクテルをお出ししたところ、皆様に大変気に入って頂き、
阿部氏「これ美味いねー!なんていうカクテルなの?」
會津「試作段階なので、まだ名前が無いんです。」
阿部氏「ならばこのカクテルはReturnerにしよう!Returner!」
會津「ええーッ!」
阿部氏「Returnerの飲食飲料部分の商標は會津くんにあげるよ。」
會津「光栄です!ありがとうございます!!」

と、こんな夢の様な流れで「Returner」と言う大変名誉な名前を頂く事が出来たのです。
この日の事を思い出すと、今でもその時の嬉しさに身震いするほどです。
次の日私は、10万円を握りしめ特許庁へ!無事「Returner」を商標登録する事ができました。
この後、この時の紅茶リキュールカクテルを「THE Returner」
私考案の紅茶リキュールを「Returner」と命名することになります。

製品化までの試練と苦悩

納得のいく紅茶リキュールが出来上がり、素晴らしい名前まで頂いた「リターナー」ですが、このお酒を製品化するまでにはかつてないほどの試練に見舞われる事となります。
当初自らの製造を考えましたが、当時の私には本格的な製造に関する知識も無く、製造工場の設備を整える経済的な余裕等を考えた末、先ずは、製造に関してはOEM製造とし、「酒類販売免許」「酒類卸免許」「酒類輸出入免許」「酒類インターネット販売免許」と、販売に関する4種類の免許の取得を試みました。
当時、飲食店の経営者が酒類販売免許を取得する事は非常に難しく、法律上、行政上等様々な高いハードルを越えなければならない苦しい作業でした。
そして、苦難の末免許を取得した後に待ち構えていたのは、OEM製造の難しさでした。
料理もそうですが、同じレシピ同じ工程で作っても、作り手によって味が微妙に変わってしまう。その現象はお酒造りにおいても同じで、理想と現実のギャップに悩ましい日々を過ごすこととなります。

製造ライセンス取得

OEM製造の難しさと向き合いながら数年の歳月が流れました。
そんな中、お酒の展示会である行政書士の先生との出会う事で、長く苦しんだ釈然としない状況にピリオドが打てる日がやって来ました。
先生は、ご自身でもクラフトビール製造免許を取得されているその道のプロフェッショナル。心強いサポーターの出現で「酒類(リキュール)製造免許」取得へのチャレンジをする決意を固めました。
しかしながら、「酒類製造免許」については「酒類販売免許」より更に高いハードルが用意されています。
免許を取得するにあたり様々な条件を突きつけられます。中でも最も重点を置かれたのが、「どんなお酒を造るのか?」「どう販売していくのか?」という事なのですが、ここで、長年苦しみながらも造り続け販売してきた実績を評価頂き、無事にクリア!
途中何度も何度も挫けそうになりましたが、行政書士の先生、関係者の方々、弊社スタッフ、そしてお客様の暖かいサポートのお蔭で、漸く「酒類(リキュール)製造免許」を取得する事ができました。

篠塚さんラベルデザイン

「リキュール製造免許」取得の喜びを、お客様としてお越し頂いていた 長野オリンピックのシンボルマークのデザイナー篠塚正典氏にご報告していたところ、思いがけないお申し出を頂きました。この新生「リターナー」のラベルデザインを手掛けてみたいとの事。
お酒のラベルデザインは経験がないので、是非協力したい!とのお申し出に、ただただビックリ!そしてあまりの嬉しさに、これまでの数々の苦労が報われた!
そう実感できた瞬間でした。

世界でも愛されて

これまで「リターナー」は、世界のセレブ達にも愛されてきました。
2012年、タイバンコクのホテル「サイアム@サイアム」で行われたリターナーのお披露目パーティでは、数百名のお客様にお楽しみ頂き大盛況となりました。
また、バンコクの「モードサトーンホテル」のオープニングパーティでもリターナーを起用頂き、こちらでも大変な人気となりました。
そしてシンガポールでは、日本の酒問屋主催の展示会に出展し、リキュール部門第一位の評価を頂きました。
これまで、日本のみならず世界でも愛されてきた「Returner」は、この度 自社の酒類(リキュール)製造免許取得により更に香り高く生まれ変わりました。
㈱ReturnerJapanは、新生「Returner」がより多くの方々に愛され親しまれる商品となりますよう、これからも弛まぬ努力と歩みを進めてまいります。